おはようございます。
←先日、先輩の税理士と一緒に鷹匠にある「Venti Due」に行ってきました。
写真は、定番の「マリナーラ」です。
このもちもちっとした生地がたまりません。
この生地を敷ふとんにして寝てみたいです。
今日は、午前中は、示談交渉が1件入っています。
午後は、新規相談が1件入っています。
夜は、社労士の先生方を対象としたセミナーです。
今回のテーマは、「重要判例から読み解く賃確法6条の解釈のポイント」です。
しぶいテーマですが、いつかどこかでちゃんと勉強しておくべき論点です。
今日も一日がんばります!!
「思考は現実化する」というあまりにもよく知られている表現について、この本では、9つの方法を通して説明をしています。
思考の重要性を説く本はたくさんありますが、この本も同じ路線です。
さて、この本で「いいね!」と思ったのはこちら。
「私たちは、『足りない』ことに対する心配や不平に、エネルギーの大部分を使ってしまっている。時間が足りない。運動が足りない。食物繊維が足りない。ビタミンEが足りない。給料が足りない。・・・この『足りない』という思い込みが、もしかしたら間違っているかもしれないなんて思いもよらない。むしろ、『足りない』という感覚が私たちの存在の核になっている。いつも不満を抱えながら、人生のすべてを『足りない』というレンズを通して見ている。」(259頁)
よく使う例えとして、コップに入っている水を見て、「まだ水がこれだけある!」と解釈するのか「もう水はこれだけしかない・・・」と解釈するか、という問題と同じです。
水の量は同じなのに。
事実それ自体に意味などないのです。
事実に意味を与えるのは、自分自身の解釈です。
「もう水はこれだけしかない」と解釈する人は、どんな場面でも「ない」というマイナス面に着目し、不満をもらし、自分が不幸であると嘆きます。
水の量は同じなのに。
私は、事実そのものが幸福感を与えるのではないと思っています。
幸福感を与えるのは、自分自身の解釈です。
それは、時に、単なる強がりやこじつけである場合もあるかもしれません。
でも、解釈の習慣こそが幸福感を与えることを知っている人は、他人に何と解釈されようと、それは他人の解釈であり、自分には関係がない(どうしようもない)と割り切ることができます。
このことに気づいている多くの人は、どんな状況においても、自分から「あえて」不幸になる選択(解釈)をすることはありません。
だって、そんな解釈をするメリットも必要もないからです。